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他人事の長文置き場です。

舞台 大地の感想文

芝居好きなんだけど、観劇が趣味です!と言い切るには足りない程度の、まぁまぁなお芝居好きな、そういう私です。
どうぞ、よろしく。
それでも、コロさんのせいで観劇予定が一気に潰れた現実は堪えてて、私が行けない事も辛いし、私が行く予定のない芝居だって上演がなくなる事は全部辛い事だし、ていうか、お芝居に限らず、コロさんのせいで危機的状況に追い込まれる全ての物事全部辛いんだけど、何しろ半年もの間舞台を観ないっていうのは、舞台を観始めてからは初めての事で。
いやあ、しんどいしんどい!
だって私、相当我慢してると思うの。
おかげで、ちょっと動いただけで鼻息がフーフー荒くなる位肥えたし。
鏡を見る度に、本気で「ブタゴリラ?」って自分に呼びかけちゃってるからね?
可哀想な私! 全部コロのせいだ!
まぁ、ケーキ、こんなに喰うかね?て位、毎日食べてたしな。
私、芝居が観られないとケーキ食べるんだなって、自分・新発見した。
ていうか、世界中みんな我慢してる最中だから、しょうがないねとか、そういう相対で物を考えられない人なので、私が!辛い!だから、ケーキ食べる!私からは以上です!というやさぐれたお気持ち満載でケーキを食べ食べ日々を過ごすしかなかったのよね。

言うても、配信とか色々演劇界隈の方々も行って下さって、芝居動画をyoutubeにアップロードして下さったりとかね。
まぁ、芝居とは別に私が浸かってるLDH沼でも連日、これでもか!と言わんばかりに動画の配信があるもんだから、退屈だなぁとは思わずにいられたのよ。
退屈ではなかったけど、満たされていたかというとそういう訳でもなくて、退屈でないから充実してるってわけでもないんだなって私は知る事が出来た。

それはそれ。
これはこれ。

劇場でしか見られない景色と、劇場でしか味わえない緊張感と、劇場でしか見つけられない自分がいて、私は半年もの間私と劇場を引き離す原因となったもの達を口汚く罵り、怨み、罵倒し、嘆き続けたし、きっと私のように、その場所に赴く事でしか得られない輝きに魅入られている何かをお持ちの方々は、同じように辛い時期を過ごしているのだろうと推測してる。

舞台を観に行くって、そもそも、劇場で芝居観るだけのイベントじゃないわけで。

まず、事前段階でも友達と予定合わせて、死に物狂いでチケット取って、ネットを駆使して予定組んで、ダイエットして、中年のおばさんなのに面倒くささの余り『妖精さんが、寝てる間に必要な物全部鞄に詰め込んでくれたらいいのに』って脳天から花生えてそうな事を呻きながら荷造りして、大体一泊二日の旅行に対して何でかパンツを五枚位放り込んで、前日は蒸しタオルして顔のむくみとって、パックして、爪に何か塗って、当日鶏より早く起きて、覚束ない意識で化粧して、アイラインを絶対失敗して描き直して、癖の凄い髪の毛纏めて、冬の時期はコート着込んだら私スカート履き忘れて、パンツ丸出しでウキウキ会場に向かっちゃった事あるから、自分が下半身に着衣してるかどうか五回位確認して、何を考えてんだか駅のゴミ箱に芝居のチケット捨てちゃった事もあるから、チケット捨ててないか10分に一回確認して、靴も左右間違えてライブ行った事あるからちゃんと履いてるか確認して…うん、全然楽しそうじゃないけどさぁ!
いや、ここまで羅列した全て全然楽しそうじゃないし、私特有のアビリティであるシンプルに頭が悪いの効果も相まって、私もこんなに楽しくないか?!って慄いてるし、実際楽しくないんだけど、楽しくないんだけど、楽しいんだよー!!!
劇場に行くまでの準備ですら、楽しいんだって、ほんとにマジで。

だから、劇場とか行こうものなら楽しいしかないし、勿論虚無に見舞われた事も、地雷踏み抜かれた事もあって、時間とお金を費やして何観に来たんだろう?って呆然とした経験も沢山あるけど、でも、それでもやっぱり楽しかった。
例え観た芝居がつまんなくても、劇場出た後、友達同士でこの世のありとあらゆる汚い言葉を集め尽してみました!みたいな、こんなに私達語彙豊富だった?みたいな罵詈雑言を駆使して居酒屋で感想戦する事だって楽しくって仕方がなかったのな。

ホテルでぐったりして、ベッドに突っ伏したままお風呂面倒臭いなってうだうだして、それでもさっきまで喋ってた人達と、まだ伝え足りない事ある?って感じにツイッターで更に感想言い合ったりするのも楽しくて、この半年そういうのが全部なくなっちゃって。

そうして、幾つかの観劇機会を失った私にとって、この大地が観劇自粛明けの最初の一本になりましたとさ。

三谷さんのお芝居は映像で観てる本数の方が多い位、さして馴染みのない私なのです。

だから、三谷クロニクルにおける大地の位置及び役割みたいな観点からは一切書けんよ。
三谷さんの芝居あるあるだよねwwwみたいな事も、ビタ一分からん。

指折り数えてみても、劇場で観させて頂いたのは、ほんの三本ばかり。

そのどれもが「推しが出演してるから」という理由で「なんで、こんなに取り難いんだ!」と喚きながら必死にチケットを押さえており、そしてこの度もめでたくも、晴れがましくも、嬉しくも、劇団EXILEの小澤さんが御出演ー!ありがとう!宇宙!ありがとう!小澤さんの事を三谷さんが見つける世界線よ!と明確に出演者目当てで、私はチケット先行に挑んだのでした。

前からお世話になってる先行予約サイトで首尾よくチケットを押さえ、この私が! 劇団EXILEを箱で溺愛し、劇団EXILE総出演公演が上演されていた赤坂ACTのロビーで小澤さんファン(初対面)と「これ、再来年の大河の13人のうちの一人になっちゃうんじゃない?! ケーキでお祝いする? ホールケーキ買っちゃう?!」と大盛り上がりしたこの私が観劇出来ない可能性なんてビタ一考えずに過ごす日々の最中に、こんな事になっちまって。

いやぁ、毎日震えたね。

幾つかの公演のチケットの払い戻しを涙を飲んで行いながら、この芝居だけは…!と祈ってた。

 

神様、見逃してくれ。

許してくれ。

善行詰むから、こればっかりは勘弁してくれ。

三谷幸喜だぞ?

誰がどう見たって、小澤さんにとってのチャンスってやつだと判断するだろう。

女神様の前髪を、感染病なんて予期せぬ大災害によって手放す事になったなら、本人もだろうが私だって悔しくて転げ回ってしまうって、考えるだけで鼻息が荒くなる位、毎日不安でたまらなかった。

 

これ上演されなかったら、歯ぎしりしすぎて全部歯がなくなるよ?!と、天に向かってどういう類の脅し?って自分でも訳分かんなくなるような祈りなんだか、呪い何だかの言葉を吐き続けて、その間も時勢は変わり続けて。

そして、普段通りとはいかないけれど、ソーシャルディスタンスverなんて銘打たれてたけど、劇場には普段の半分程度の観客しか入れられなくなったけど、それでも大地は無事開幕しました。

 

 

演劇を上演する劇団が叩かれたり、恐れていた劇場がクラスター発生源になる事態が起こってしまったり、私自身「自分の身を最大限に守る方法及び、推しと家族と、周囲の人間を感染させない為に必要な措置」を出来るだけ取れるよう、対策を色々調べたりして公演日を待ちかねて。

何しろ、私の世界の中心は私だし、私は世界で一番私が大事な、私至上主義なので、開幕したらしたで「これで、私がチケット取ってる公演日の上演が中止になったら暴れる。 チケット持ってるのに、大地を観られた人と、観られない人に分けられてしまう世界を怨む。 地面に転がって暴れる。 昭和生まれの本気の大暴れを見せてやる」と心に決めて、何度も、これは危ういか?というニュースに触れてはヒヤッとしつつ迎えた8月15日。

私は右手に除菌ジェル、左手に繊維用除菌スプレー、口には当然マスクを装備した上でサンケイ・ブリーゼホールを前に仁王立ちしていた。

 

劇場側の対策も私が想像していた以上に徹底していたように思う。

 

・チケット半券への名前と電話番号の記入

・入り口での検温

COCOAのダウンロード及び、大阪府独自の追跡システムへの登録

 

入場前には消毒液での手の洗浄も行われ、劇場ロビーにも消毒液の設置

トイレの出入り口に劇場のスタッフさんが立ち、お手洗い後の消毒も徹底されていた。

最前列は空席にし、一席ずつあけて観客を座らせ(この効果については、N響の調査報告を読む限り懐疑的にならざるを得ないのだが)劇場内での感染の可能性を出来るだけ排除し、感染が発生した際、拡大を防止する為、経緯が追える様に情報を収集しておく。

この対策の為に割かれる人員や、労力の事を考えると、上演と言う決断を下してくれた事に対し頭の下がる思いだし、色んな立場からの意見はあるだろうけど、一観客、一舞台クラスタとしては、唯々感謝の念しか抱けない。

少なくとも儲け主義で上演に踏み切ったなんて事は、この「大地」に限って言えば、劇場の様子を見て口に出来る人はいない筈だ。

これで絶対感染を防止出来るなんて、誰にも約束できないし、完璧な対策なんて何処にもないんだろうけど、劇場側そして劇団側の努力に応える観客でありたいと、強く自覚を促されたし、舞台はこれまでも観客という最後のピースを加える事で完成するものだと分かっていたが、加えて舞台演劇という文化を守る観点においても感染対策に出来る限り協力する事は義務であると実際の劇場に赴く事で実感した。

 

くどくど書いたけど、要は劇場の努力を目の当たりにし、大好きな場所を守る為に出来る事は全部やろうって改めて思ったという、そういう話なんです。

 

本音を言えば、早く何も心配せず、罪悪感も抱かず、好き勝手に劇場でお芝居楽しみたいし、舞台に関わる全ての演劇人が良い作品作り以外の何も気にせずにお芝居が出来る日々が戻ってきて欲しいんだけどね。

今、お芝居を上演するということ、観に行くということは、コロナ禍以前の頃と違って、別の意味を含んだ行為になってしまってるので(そうならざるを得ないという諦念もある)私なりに実際に劇場に赴いて得た所感を前提に書き連ねさせて貰いました。

 

 

 

 

さて、前置き長くなっちまって、申し訳ない限りなのだけど、漸く舞台感想書き出すね?

 

まずね、最初にね、劇場入ってすぐ、ちょっと見た事のない感じのセットに普通に驚いたよね。

ここで、芝居させんの?!って。

だって! 八百屋の傾斜がえげつない!! ダンボール尻の下に敷いたら、そのまま滑ってけるレベルのやつや。

役者の膝・腰絶対殺す傾斜や。

全員がシャワー浴びても肌が水弾いてくれるんだろなぁ…なんて思いを馳せる程の若手ではなく、ベテラン呼ばわりされる年齢の役者さんまでいらっしゃるのに、この所業。

傾斜部には縦2×横3=計6箇所、ベッド周りに四角い掘り込みがあり、各登場人物のパーソナルスペースとしてフラットになってる箇所は設けてあるものの、そこで立ち尽くしたまま芝居なんて事は、いくらソーシャルディスタンスを謳っていようが、三谷さんがしでかそう筈もなく、ドギツイ傾斜の上で静止して芝居したり、歩き回ったり、走り回ったり、飛んだり、飛び蹴りまで披露されて、役者の身体能力って!と瞠目したし、一番傾斜がキツイ上部を辻さんと浅野さんに割り振られている事に対しては、三谷幸喜と書いて鬼畜と呼ぶのでは?と震え上がったりもした。

そもそも、八百屋舞台っていうのは観客に舞台上の全てを見渡して貰うよう便宜上傾斜を付けておるわけで、舞台の上においては平らな地面として役者は歩いたり、走ったりせねばならんのよね。

私とか、あんな坂はね、言うぜ?

無意識のうちに、登り出す瞬間「よっこいしょ」って。

膝に手を置くぜ? 腰を屈めるぜ? 坂を登ってる人丸出しになるぜ? 何故なら、坂を登っているからね!!

なのに、全役者、NOよっこいしょ!

スタスタと予備動作もなく歩き回り、平地と変わらぬパフォーマンスで芝居をしている。

これって役者なら当然なの? それとも、殊更身体能力の高いメンツを揃えたっていうの?

もう、その時点で私感銘受けてるからね。

何見せられても「こんなキツイ傾斜場で、よくこんな風に振舞えるな」なんて尊敬しちゃうし、唯でさえ芝居巧者の集まりなのに、更に傾斜分の下駄を履かせた感想になっちゃう事をお許し下さい。

 

私、原案となってるパール・バックの大地は読んだ事がないので、相似点がどの位あるのかは全く分からないのだが、舞台は中国ではなく強いていえば、開拓時代のアメリカっぽいなという印象で、架空の国のディストピア物語として観劇させて貰った。

とはいえ、これ舞台観た人全員思う事だから、もうわざわざ書かなくてもいいかと思ったけど、最早大地という舞台が演劇界において担わされてしまった役割を踏まえる以上、言及せずにいられないので、やっぱり書くね!という意味で、今の時代にドンピシャ過ぎね?とは言いたいよね。

これ、多少手直しあったにせよ、感染拡大前に書いてた訳でしょ?

パルコの杮落としシリーズの中に名を連ねてたのだから、構想はもっと前に出来上がってた訳で、そういう前提がなければ「これ、余りにも今の時代にTOO MUCHじゃね?」と感じる事は避けられなかっただろうな。

その位、舞台上の役者達の境遇が余りにも今の世相にダブりすぎている。

芝居をする機会を奪われ、いつまでこんな状態が続くんだと嘆く声に今の演劇業界の現状を重ねずにいられる訳なくて、観客である私は殊の外、役者らが自分達の現状の理不尽さを訴えるタームが堪えたし、演じている方々にしたってどうしても演じる以上の感慨を得ていたのでは?って考えてしまう。

 

こんな状況でなければ、何の制限もない舞台を観られたろうにと私は嘆いたのだけど、一緒に観たお友達はこんな状況だからこその我々の実感であり、役者達の感慨があるのでは?と仰っていて、なるほどなって思ったんですよね。

なるほど、確かに、この舞台は。

この感情は。

この状況は。

今でしかありえないし、逆に言えば「今」だけに留まるよう祈るしかない事態なのだと。

 

 

三谷幸喜という人が作る舞台に対しては、冒頭述べました通り私、然程語れる程の見識がないもんだから、物凄い浅瀬のくるぶし位までしか浸ってない深さで物を述べますけど、ほんとに性格の悪い鬼畜野郎ですね(罵詈雑言)

あの人の書く幸せとか、絆とかって「壊れるところを観せたい」という厨二病的カタストロフの為に御用意された暖かさなわけですよ。

 

優しい目論見。

深め合う絆。

高め合う信頼。

 

私、もういやんなっちゃって。

これ、このままじゃいられないだろうなって分かる彼らの団結がいやになっちゃって。

あんなにね、酷い傾斜のついた舞台の上に積み上げられたジェンガなんて、崩れずにいられる筈ないんだって、見てる観客が全員分かるように作られてるの。

ずっと崩れる瞬間を私達は待っていた。

崩れて欲しくないのに、彼らが瓦解する様をまるで私たちの為に見せつけて、三谷さんは、これを待ち望んでたんでしょ?って言わんばかりに、最後に「観客がいなきゃ、舞台は成立しないんだ!」ってバチェクに解き明かさせた。

 

怖くない?

その答えなら、舞台に関わる全ての人が、もっと優しいやり口で思い知っているだろうに。

我々が舞台にとっては絶対に必要なのだっていうプロポーズを、閉鎖された世界で築き上げた仲間同士の絆の崩壊という過程を経て行う三谷さんに、私は溜息を漏らすみたいに「三谷さんはモテないわ」と呻く事が不可避だった。

だって、そんなやり口で「よく分かっただろ? 僕達(お芝居)には君達(観客)が必要なんだ。 ずっと一緒に居ようね☆」ってコクられたって、こちとら「え? 何、それ、怖い(怖い)」って述べるしかないからね。

ただ、その恐ろしい手段を経て観客を深く傷つけるからこそ、私達観客は舞台を愛する限り、劇場を訪れ続けるのだと思い知らされるのも確かな訳で。

他の存在へ愛情の伝え方が、性格クソクソ悪いのに、そのクソクソ悪さが面白い物語を作る大事な要素になってるところが、業が深いなとか震え上がっちゃうんだよな。

三谷さんが作る舞台の面白さが今回の大地に関して言えば、その歪みや、性格の悪さ故の発露にあるところが、私は空恐ろしくも切なくて、大地という舞台が余りにも私や演劇界にとって特別な一本になってしまったという意味も含めて未だに呑み込み切れずにいるのです。

 

だから、大地は観てる間、居心地が悪かった。

ずっと不吉で。

大笑いしてる時ですら、怖いのが後に待ってるんだぞ?って言い聞かされてるみたいな気がしてた。

チャペックがミミンコに吐露した心情や、後にチャペックに訪れる悲劇に対するミミンコによる前置き。

権力者の鼻を明かす痛快さの後に、手酷いしっぺ返しを彼らが食らうであろう事は、観客の誰であっても予想が出来るもので。

あの八百屋舞台には、あんな場所に人が暮らしていていい筈がないという不安定な心理を掻き立てる意味でも視覚的な効果が甚大だったなって思う。

あんなね、非人道的な場所を居心地いいだなんて言っちゃうチャペックの平衡感覚は、どうかしちゃってるんですよ。

不思議と特別な人間としての自覚がある所謂『一般人』とは違う立場にある役者達の方が人間臭くて、彼らの為に立ち回り、様々な算段を取り付け、そしてツベルチェクを自分達の身の安全を守るために差し出すチャペックのが「ああ、この場所にもう、おかしくされちゃったんだな」って思わせてくるんだよな。

あの取り憑かれたみたいにツベルチェクを説得する熱の高さが、斜めに傾いだ彼らの居場所を守るためというお題目の為だけに行われていたのではなくて、それこそ、彼にとって自身の存在意義に直結してたのだろうし、あんな場所での生活に、自分の存在意義を見出してしまった事そのものが彼の後の悲劇の根源だよなとも思う。

彼は、ツルハに「我々はホステスではない」と詰め寄られ「客を喜ばせてなんぼの世界だ。 俺達と何が違う?」と返答する。

でもさ、俺達って言ってるけど、その時点で、もうチャペックは「俺達」の一員じゃないのよ。

「俺」と「彼ら」なのよ。

しかも、その事を全員が気付いている。

役者達も、政府側も、観客も、チャペック自身でさえ。

三谷さんは、私がこれまで見せて貰った幾つかの作品において得た印象に拠ると、その道のプロに対する尊敬と尊重の念が顕著で、憧憬も強い人だなと感じていた。

それと同時に、何かの才能に秀でた人間が人格者とは限らないという事を、主題としている作品に私は触れる割合が高かったように思う(何しろ、三谷作品に詳しい訳じゃないもんだから、歯にスジ肉が挟まった表現をするしかないのよな)

んで、大地では収容所にいる役者達を役者としての誇りを持った面々として描いていて、その能力の高さまで舞台上で存分に魅せた上で、そういった面々の同業者との連携と持たざる者への冷遇を、ディストピアな世界で究極の選択を強いられた人々が露わにした人間性を通じて描き出して見せた。

この作品における救いは(私の性格もクソクソ悪いので、あえて救いと表現するのだけど)チャペックは持たざる者であるが、罪なき者ではないという事だろうか?

ミミンコも言っていたが、しっぺ返しではあるのだ。

自らの言動、立ち回りが招いた報いではあるのよ。

彼の罪が、地獄へ送られるに足る罪であったかどうかは、論議の余地があるのだけど(ただ、対象者が様々な制限を課せられる閉塞した世界において、罪に対する罰も善行に対する祝福も、平常時より増幅するのは、行為に対するハードルの高低が変化する事を鑑みればむべなるかなとも思う)大地がコンフィダントのシェフネッケルの如く、持たざる者であれど、罪無き者でもあるような人が、才能がないというただ、それだけの理由で地獄行きにされてしまう作品だったら?

そうしたら、やるせなさと恐ろしさと怒りと悲しさが全部ない交ぜになって、人間って生き物が嫌になって、座席から暫く立ち上がれなくなってコロ…対策の為に早く客席を空にして消毒作業に入りたい劇場スタッフに迷惑を掛けてしまうだろうし、一緒に観劇した三谷ファンのお友達には「おうおう、三谷幸喜ってえのは、いってぇどういう了見で、こんな作品を上演してくれたんだい?」と大いに絡み、観劇後のお茶の時間に管を巻いていただろうから、チャペックの犯した罪に対しては本当に感謝している(表現よ)

私はコンフィダントにてシェフネッケルが仲間だと思っていた画家たちに捨てられる場面で、悲しくて悔しくて声を上げて泣いてしまったし、私がルイーズなら、三人ともグーだ!

グーして、一番固くなるとこで、前歯が折れるまでやってやる! 絶対だぞ!と決意を固めていたので、もしチャペックがシェフネッケルの如き無垢で奉仕精神を持った人物であったなら、私は立ち直れなかっただろうし、チャペックを大泉洋さんが演じたという事自体、三谷さんから観客への慈悲だったのかも知れないと考えちゃってる。

だって、ほら、あのチャペックなら、本当に山の向こうから生きて還ってきて、千秋楽で述べたように、「チャペックの逆襲」を繰り広げてくれそうやん?

 

ある日突然、原付ウィリーさせながら壁ぶち破って現れてさ?

自分を山の向こうに送った連中に「おい、パイ食わねぇか?」ってパイを無理矢理食べさせて、辛い辛いと泣こうものなら「おじさんはもっと辛い物を君に食べさせられてるんだよぉ?」と恨み言を述べてまわる、そういう芝居を上演するっていうのなら、何を置いても観に行くぜ?

まぁ、主催はパルコじゃなくて、TEAM NACSとか、水どうとかになるんだろうけど。

千秋楽は北海道になるんだろうけど。(観たい)(スープカレーも食べたい)(そもそも、北海道旅行したい)

 

チャペックは役者でないから、「役者なんて人に媚びてなんぼの商売だろ?」という卑下した表現を用いて、ツベルチェクに尊厳を売り渡すよう強いた。

彼が役者でないから、そう言えたのだし、役者達は自分達が行ってる商売は人に媚びる商売でない自負心があったから、その物の言いを誰も認めはしなかった。

それでも、ツベルチェクをドランスキーの元に送り出したのは他の役者達も同じじゃないかって私だって思う。

同じ罪を犯している。

全員が全員、ツベルチェクの犠牲を容認した。

チャペックは、その見返りを交渉しただけ。

囚人として生きていく中で、逃れられない理不尽を課せられた仲間に対し、せめての見返りを政府側から得て見せた事を狡猾とみるのも正しいが、逃れられない理不尽に対して一矢報いたという言い方だって出来るように思う。

勿論、溜飲なんて下げられたもんじゃないけど。

他の役者達だってツベルチェクを守れなかったし、彼の為に行動する役者も一人もいなかった。

だから、突き詰めると私はチャペックの罪は「卵」を食べた事だったんだなって考えてる。

チャペックは、屈辱を受けたツベルチェクの姿を見て、彼の尊厳の為に抗議の意思を持って役者達が食べる事を拒否した茹で卵を食べた。

己の保身の為に。

そして、自分の居場所を守る為になると信じて。

でも、多分あれが決定的な罪になったんだろうな。

あれがエデンの林檎だったんだ。

ドランスキーという蛇が用意した食べ物を口にしたから、チャペックは楽園から追い出される事になった。

 

こじつけだろうか?

ホデクが決めた事だから。

他の役者達が、誰もチャペックを庇いはしなかったから。

彼は、本当に替えの効かない才能を持っていなかったというだけで、山の向こうに送られたのだろうか?

 

私の身に選別される日がいつか来るとして。

私が地獄に行くとして。

その理由が「お前には才能がないからだよ」なんて神様に言われたら、その神様の事をあんまりにも無慈悲だって思うから、三谷さんの事をそこまで無慈悲だって思いたくないから。

私は、チャペックに「あんたが、卵を食べたからだよ」って、そうやって同情を寄せていたいのだ。

 

しかし、大泉さんは三谷さんの作品に置いては、こういうお役を演じる事が多いとフォロワーさんに教えて頂いて、それはもう、そういう役を余りにもうまく演じてしまったからでは?とも考えているね。

さっきも書いたけどさぁ、チャペック死ななそうなんだもん。

ラストの生死不明が、ちゃんと生死不明な逞しさがある。

彼の狡さも、ミミンコに対する家族的な愛情も、仲間たちに対する尊敬と侮蔑が入り混じった感情も、何もかもを内包した複雑さを演じ、その上で「凡人で御座い」という佇まいまで三谷さんが好む洒脱なユーモアたっぷりに表現して見せるのはこの人しか出来ない芸当なんだろうなって思ってます。

 

あと、言動が全部好きだったツルハは、相島さんの神経質そうな佇まい込みでぴったりだと思った。

役者だから当然なんだろうけど、相島さんは憎たらしい役を演じたら声を聞くのも嫌な位に嫌な奴になるし、気弱で優しい人を演じたら心を寄り添わせたくて堪らなくなる程に放っておけない人になる。

ツルハは、理不尽な状況に抗い、牙を剥き、懸命に立ち向かおうとしていて、その真っ直ぐさを厄介だとか、問題児だとか言われてしまっているのだけど、彼の言葉は全部正論で、何も間違ってないってずっと思ってた。

周りに合わせて、空気を読んで、自分が納得してなくても保身の為に言葉を飲み込んでなんて事が出来ない人は、尊敬すべき人だと思う。

ああいう人を好きな人と苦手な人がいるだろうなって思うんだけど、私は仲良くなれないけど一方的に好きな、完全に片思い先になってしまうタイプなので、ツルハが口を開く度に同じ境遇に追い込まれたならと考えると味方をしてあげられない癖に、ツルハを応援してる私がいた。

彼が、ホデクが描いた脚本に我慢ならずに、口を出してしまうとこの「もう、耐えられない!」って癇癪起こす感じが、相島さんの声から凄く伝わって来て、こんなに芝居が好きで自分と他人の自由が奪われる事を許し難く思うような気骨のある演劇人を嫌いになる演劇ファンいる?とか考えたのでした。

 

バチェクは、辻さんが演じられてて私は舞台では初めましてだったので、まず声がいい!と唸らされた。

貫禄と愛嬌のバランスが最高で、ドランスキーを煙に巻く芝居のくだりでは圧巻としか言いようのない位の重戦車みたいな芝居っぷりに大笑いが止まらなくなって「勘弁してくれ」と何度も思わされた。

三谷芝居における定番の(とか、オドオドした顔で書いてる三谷素人)「人の話を聞かない」キャラだった訳だけども、辻さんの芝居だからこそ我が儘も、無神経も、無理解も必要以上に憎たらしくなく、しょうがないなぁって気持ちで眺められたような気がする。

バチェクが発した最後の台詞が、これから役者達に課せられる罰の始まりとなる訳だけど、彼らのある種の「終わり」に相応しい嘆きと重厚さに満ちていて、ああだから、辻さんが演じたのかと打たれるように思った。

バチェクは、本当に辻さんの為の役だったんだなって私は考えてる。

 

ブロツキーは山本さんの役だけども、まず贅沢!と感じちゃって、なんで?って私に聞いたら「飛び道具だから!」って答えたんだけども、あの飛び道具は山本さんの特性を存分に見せつけてくる、山本耕史が全力で投げる火の玉ストレートなんだぜ? 刺さったら命はないぜ?な飛び道具だったので「相応しい役!」とか思い直すなどした。

何しろ、山本さんの役の理解が完璧すぎるっていうか、完璧以上だった。

三谷さんが、山本耕史をキャスティングして、飛び道具として使うんだぞ?という凄みを感じる飛び道具具合だった。

大スターで、歩き方一つとってみてもかっこ良くて、堂々たる態度で、見栄っ張りで、口ばっかりのさぼり魔で、保身の鬼で、それでも芝居が出来るとあらば、我が身が危なくなろうとも参加せずにはいられない役者バカ。

愛おしくってしょうがないなぁって、この人が色んな所で引っ張りだこなの分かるなぁっていうブロツキーさんだし、山本耕史という役者さんだった。

 

三谷さんのお芝居は、当て書きのイメージが強いのだけど、プルーハに関してはまず、パントマイムありきでしょう?とか聞きたくなるような、ドランスキーを振り回したマイムシーン。

私ね! 私ね! あすこがいっち好き!

この大地という作品の中で、いっち好きなシーンやった。

あの瞬間だけ、切り取ってずっと見てたい位。

ゼンマイ仕掛けの世界に閉じ込めたい位に可愛くて、面白くて、舞台の楽しさがはち切れそうな位に詰まったシーンだった。

パントマイムコメディの見本みたいな二人のやり取り。

吹き飛んでいきそうになるプルーハが閉めたドアを、開けて風が吹いて来ないのを確かめるドランスキー。

憎たらしいドランスキーが子供みたいになって、プルーハの一挙手一投足に目を凝らして、後を追って。

芝居を知らないって、幸せな事かもしれんって思う位、あの時のドランスキーが羨ましたった。

だって、全部彼にとっては現実になってしまうんだもの!

あー、可愛いなぁって。

怖い事ばっかりの世界で、今この瞬間だけ、こんなに輝くみたいに可愛い!って切なくなっちゃって。

あんなに可愛い世界を作れるプルーハが、湿布と引き換えに密告者になってしまったのを知った時に、あの場所の非道さを更に思い知った気がしたんだよな。

浅野さんのプルーハは、仲間の気持ちを盛り上げるのも上手で、飄々として、善良で、才能に満ち溢れてて、観客の心を掴んで離さないパントマイムの名手で、そんな人が湿布一枚自由にならない。

そんな場所は、この世にあってはならないって強い認識を促された。

身体が辛くて、ずっと辛い辛いって訴えてて、それは理屈じゃなくって。

誰にも理解されない痛みに耐え切れなくなったプルーハの水が溢れた瞬間を見た。

もっと、誰かが寄り添えれば、もしかしたら結果が違ったかもしれないけど、あんな場所では、みんな自分のしんどさに手一杯で、そんな事も難しいよね。

私、痛いのが何より嫌いだから、ずっと一人だけ特別な拷問を受けてたみたいなプルーハが密告した事を、酷いって、どうしても思えなかった。

彼が言わなくても、きっといつか、誰かが密告者になってたと思う。

浅野さんが演じてたからかなぁ? ずっと、プルーハはの密告は悪くないよって、私ちょっと贔屓しちゃってる。

 

 

藤井隆さんは、この人もう、イモトアヤコさんが一時期登山家より登山してるって言われてたのと同じく、普通に舞台役者よか舞台仕事してるコメディアンよねとか、二億人位が言ってそうな事を言ってしまうのだけど、この人を呼ぶのってもう、明確に「お役に立って頂きます!」みたいな「いざという時は助けて貰います!」みたいな、命綱みたい役目をいつ見ても負っていて、稀有な人材だなぁって感心してる。

藤井さんにやって欲しい事があるからキャスティングしました!みたいな仕事しか、舞台の上でやってるとこ見た事ないもの!

正直、配役に藤井さんいたら大事故はないなってちょっと安心してる私もいて、実際今回も他の人がやったら事故間違いなしな役を平然とやりこなしてくれたのでした。

この世の何処にもいない人の物真似をして、しかも物真似って悪意が入ってる方が面白いし似てるよね(笑)とか私、『あの方』の物真似に対する感想抱いてたけど、そういやいない人だ!ってハッとさせられるような秀逸さ。

つまり、いない人の物真似に対して、物真似という行為に付き物の匙加減まで行ってるのだ。

藤井さんって「じゃあ、いい感じにやってね? 任せたよ!」みたいな無茶な演出にも応えてそうな頼りがいがあるので、今回の物真だって何処までが演出で、どこまでが自分で考えたんですか?ってとても聞きたくて堪んないんです。

 

ツベルチェクは、これ、ファンの人どうですか?って聞きたい。

竜星沼ってる人、御推しどうでしたか?って聞きたい。

あのさぁ、これ、弊推しがもし演じてたら凄く嬉しい役なんですけどー?

率直に言って羨んでるんですけどー?って口の脇に両手を当てて呼びかけたい。

でも、出てきた時から違ったもんね~!

一人だけキレイ!

よっ!別嬪さん!

中村倫也の系譜を継ぐもの!!!(一時期私が観に行く芝居、観に行く芝居全部で、中村さんが女形の役をしてたので咄嗟に書いてみた)

私、修羅天魔も観ておりやすんで、あん時も女形でしたでしょ?

しかも、相当変則的な役だったから「大変だー! がんばえー!」って応援してた役者さんが、ここに来て、また女形

しかも、また変則的な役!

でも、本当に素敵だった。

目が吸い寄せられるみたいに、竜星さんは綺麗で特別だった。

ドランスキーに呼ばれた夜に、彼に何があったのか?

ドランスキーとの、その後のやり取りや「俺に触るな!」という恫喝から推測するに、決定的な何かはなかったと考えたいのだけど、ただ彼が屈辱を覚える振る舞いをされた事は、ドランスキーとのお茶会から帰って来た直後の態度を見ても明らかで、彼は他の面々とはまた別の、底知れない恐ろしさを感じながら収容所で暮らしていたのだなって思う。

怖いよね。

芝居を取り上げられて、家族と会えなくなって、しかも到底受け入れられない相手から強権的に尊厳を害される可能性がある場所に閉じ込められてしまってるんだもん。

仲間は誰も頼りにならなくて、自分の身は自分で守るしかなくて、ミミンコとズデンガの逢瀬の為に、ドランスキーを翻弄する場面も、なんだかチキンレースをしてるみたいで。

自分の実力を計ってるみたいで危うくてドキドキした。

まだ、大丈夫か?

どこまで自分は大丈夫か?

自分の安全を、この男はどこまで保証してくれるのか?って試してるみたいで、なんだか胸が痛くなる。

あんな振る舞いは誰が相手でも、同性間だろうが、異性間だろうが、どっちも傷付くからね。

やめた方がいいんだよね。

本当は気が短くて、乱暴者なツベルチェクだけど、生存戦略として女形としての手管や媚びを身に付けてる様が強かだなって感心すれども、同時に本人が欲しいと思った媚態ではなかろうにとも感じて、あの収容所を出てからは、もう二度と、あんな振る舞いをせずに済んだらいいのにねって考えてます。

 

ミミンコは、狂言回しの役であり、観客と登場人物の間に立つ人物であり、またチャペックと他の役者達の間に立つ存在であった。

濱田さんの初々しく溌溂とした無垢さが、あの収容所において、他の役者達の救いであったのだろうなと推測させてくれて素晴らしかったな。

ミミンコがいるから、役者達が最低限襟を正していた部分もあると思う。

捕虜となったフランス兵士が、収容所に置いて架空の少女の存在を作り出した事で、最低の環境でも紳士らしく振舞えていたように、役者を志し、彼らに憧れの視線を送り続けるミミンコの前では、最低限大人として振舞おうとしていたのだろう。

彼は若かった。

ホデクは他の面々が唯一無二、代替えの効かない面々であるという理由で残したのに対し、駆け出しの彼には若さしかない。

だけど、その若さを、彼の懸命さを、これから輝きを大人達は全力で守ろうとした。

彼の為なら、身替わりに山の向こうに行こうとする面々が後を絶たなかった。

子供が過酷な場所に送られるのを、黙って見送れないという人間性の発露を目の当たりにした果てに、チャペックの為には誰も名乗り出ない光景を見るのが本当にキツかったのだけど、同時に山の向こうに行く事になったチャペックが、役者達を一人ずつ責めたけど、ミミンコの事だけは責めなくて、あの子は、あの場所で彼らの命より大事な尊厳の象徴になったんだなって感じた。

彼だけは何としても守り抜かねばならない。

彼の存在が他の八人を団結させた。

ズデンガと会わせてあげたかった大人達の気持ちには、当然自分達を虐げてる野郎の鼻を明かしてやりたい気持ちもあったろうけど、やっぱりミミンコが愛しいって気持ちもあった筈で、濱田さんはその役者達からの優遇を観客を納得させるに足る魅力的な若者であったと感じています。

 

ズデンガも可愛かったねー! もっと見たかった位!

あけすけで、元気一杯で、収容所でもへこたれてなくて、命一杯に恋をしていた。

まりゑさんは初めましてだったのですが、パワフルでくるくるパタパタ表情も変わるし、動き回るし、ウェットな部分が全然なくて、あー、これは三谷さんの好みだな…と。

こういう女性好きそうだな…とズデンガのキャラクターを見て、ハハーンとお察し。

ミミンコは、もっと熱烈に彼女を出迎えればいいのにモジモジしてて、その分情熱的にミミンコにぐいぐい迫るズデンガの「大好き!」という気持ちが溢れる感じとか、明るく振舞ってても、これはたった一時の限られた時間の逢瀬なんだって言う、その時間の大切さをズデンガの方が理解してる風情が、イイ女だなって気がして。

取り乱しもせず、逢瀬の時間を目一杯楽しもうとする健気さが堪らなくて、ミミンコや? ズデンガはとってもイイ女だよ? 絶対離しちゃ駄目だよ!って教えてあげたくなっちゃった。

まりゑさん、可愛くて芝居巧者で、素敵だった。

また、何処かの劇場でお会いしたいって願ってます。

 

ホデクの栗原英雄さんは、めっちゃくちゃ意外な三枚目役!

いや、私もそんなにお芝居拝見してないけど、真田丸とかでは滅茶苦茶男前だったじゃない?

叔父上とか最高に二枚目だったし、端正なお顔と素敵なお声だから、当然二枚目の役を振られてるものと思って劇場に赴いたので、ホデク役だとは一幕目終わる位まで気付けなかったね!

消去法、もう、完全に消去法で「叔父上、まさかのホデクか?!」って特定した。

もう他に人がいないから、あの人栗原さん?みたいな、そんだけ分からない私がいた。

でも、役者さんってのは、当たり前のように三枚目も飄々と演じられるんですな(当たり前体操)

完全に小役人で、芝居オタクの下手の横好き。

うっかり『ぼくの宝物達』みたいな才能のある役者達が収容所に集まったものだから、はしゃいじゃってる可愛いおじさん。

あんな場所じゃなければ、あんな地位になければ、誰の恨みも買わず、近所の同好の士と愉しく芝居談義とか交わして、普通の幸せな日々を送っていそうな、そういう人。

そう言う人が、権力を持つと、こんなに怖い事をやってのけてしまうのかって、人間が怖くなるような、立場が人を作るという悪い例のような役でした。

ニコニコと役者達を讃えた口で、冷酷に威圧する様の緩急が素晴らしくって、流石だなと唸りっぱなしでした。

 

 

 

そして、最後に私の観劇動機となったドランスキー役の小澤雄太さん!

まずは、もうね、素直な声で、真っ直ぐな目をして、正直に言う。

前半はハラハラした。

凄くハラハラした。

三谷芝居慣れてる人の感想がとても気になるのだけど、劇団EXILE沼私は唯ハラハラした。

これ、三谷さんの演出意図理解しての着地点なのか、小澤さんが演出意図を理解しきれないままに、こういう風に演じてるのかを掴み切れなくてハラハラした。

いや、下手とかじゃないんです。

ていうか、下手なわけあるかーい!!!(憤怒)

失礼やぞ?! 劇団EXILEやぞ?!

知らん人は一回公演観てくれ! 滅多にやらんけど! もしくは、映画jam観てくれ! GYAOで今なら無料です!(ステマ)

あと顔がいいし。

料理も巧いし。

声も良いし、歌もうまいし、ブレイクダンスが凄い。

ここまでの配点で、もう人間的には満点超えてっからね? 実際の話。

だから、芝居が下手とかじゃなくて、三谷幸喜演出としてあんまり見た事のないテイストの演じ方をしていて(いや、何度も言うように三谷芝居に然程詳しくないのだけど)あなたの演じてるキャラクター的に、その台詞の言い方や、表情で合ってる?

三谷さんと意思疎通してる?って凄くハラハラした。

役割から言えば登場人物の中で最も悪辣で、支配的で、強権的で、厭らしい男でなければいけない筈なのに、まるで拗らせた優等生みたいな潔癖で視野の狭く純情な佇まいに、私は戸惑ってしまった。

何しろ推しですし、なんか三谷さんにダメ出し沢山されてる伝説聞き及んでますし、でも、三谷さん御本人からちゃんとオファー頂いてる訳で、私、濱田さんと同じ芝居に出したっ事は、ははーん、三谷さんはお子さんと一緒にウルトラマンジードを見たな?とか勝手に考えてるんですけど(あと、なんか濱田君と絡みあるかな?とか期待したら、そこはそんなになかったね)兎に角、呼んだからにはちゃんと通じ合えるまで三谷さん演出付けてるよね?とか、前半終った時点では勝手に三谷さんにまで詰め寄ってた。

 

結果、二幕の大地における圧巻の大見せ場。

ドランスキーを観客にして、役者達が入れ替わり立ち替わり時間稼ぎをする場面にて、私は全部腑に落ちた。

芝居を一切理解しないドランスキーの、役者達の見せる仕草全てが「本当」だと思い込んでしまうあの純粋さを、不思議の国に連れてかれた後は一切抗えずに翻弄される姿を、前半の芝居の佇まいにより「んなヤツおらんやろ」と観客を冷めさせず、納得させるまでに持って行ったんだなって思ったし、正直やっぱり小澤さん凄いなって。

観客に「真っ当な人間ならこんな馬鹿々々しい状態にまで陥る筈がない」って思わせては絶対にならない局面で、ひたすら困り果て、振り回され、可哀想になる位にへとへとになっちゃう姿を見せて、この男ならさもありなん!って得心させてくれて、もう愛さずにいられなくって。

愚かで、何も知らない、まるで生まれたての赤ちゃんみたいに突然自分の常識が通用しない世界に放り出されたみたいで、ずっと可愛くて、ずっとずっと可愛くて。

「言ってないっ!!!」って泣きそうに叫ぶ声や、ここが見せ場でないなら、何処が見せ場だ?!な「お父さーーーーーーん!!!」の叫び声に、客席半分しか入ってないなんて信じられないような劇場中の笑い声と一緒にお腹が痛くなる位笑い転げて、「可愛い! 可愛い! 世界で一番可愛い!!」と、私の平たい胸は完全に潰されたのでした。

 

死神の役目を負ってる人が、こんなに可愛くってどうするんだろう?

イッセー尾形さんのワークショップに参加した際に言っていた言葉を思い出す。

「笑いっていうのはですね、人が困ってる姿を見て起こるものなんですよ」

まさにだなって。

小澤さんが大地に呼ばれた理由は、百戦錬磨の俳優陣全員を向こうに回してたった一人で、こんなに盛大に、見事に、誰の胸も痛まない位に愉快に困らされる姿が、とても似合う人だからだ。

それは本人の、真っ直ぐで、ユーモアたっぷりで、素直で、正直な、そういう気持ちのいい性格にぴったり沿うていて、私はあの大騒動の場面のせいでドランスキーが大好きになった。

大好きになってしまった。

 

困るよ三谷さん。 こんなに可愛くしないでよ。 憎まれ役の筈なのに。

こんなに可愛い人が、あんなに怖い事を囚人達に強いるだなんて。

推しだから、どうしても私はドランスキーに思い入れちゃって。

でも、ドランスキーがやってのけた事はやっぱり怖くって。

この人、恋をしただけなのになって思ってしまった。

 

この人、恋をしただけなのに、ちゃんとフられなかったから。

あんな場所で、あんな立場で、相手は囚人で、自分は政府役人で、恋をして。

真っ当にフられずに、拗れて、ドランスキーは一人ぼっちであんな決断をして。

ツベルチェクと二人きりの時の、ドギマギとした、不器用な、どうやって接していいか分からない、触れようとしたらまるで、天女を相手してるみたいに逃げ回られる光景は、切なくて、可哀想で、私はちっとも笑えなかった。

恋をした相手から、ちゃんとフられるって健全な事なんだなって実感した。

 

大地は罪と罰の世界なので、きっとドランスキーも時代が変わる際に裁きを受けたのだろうって私は考えてる。

そうでなきゃだめだ。

そうじゃなきゃ、理屈が通らない。

お父さんが床屋という事は、お母さんが軍の要人だったのだろうか?

あんなに賢くない子が、若くして軍部で出世するにはコネ位しか思いつかない。

まぁ、目が曇ってる私は観劇後お友達には「可愛いから? 可愛いから出世しちゃったの?」とか訴えてて、うん、まぁね! 私は半ば本気だぞ? 半分だけだ。 半分だけ「可愛いから出世したのかな?」とか本気で思ってるけど、兎に角、軍部のエリートたる彼は、きっと軍事裁判に掛けられて然るべき処分が下される事になったのだろう。

 

可哀想で、愚かで純粋なドランスキー。

退屈気に、役者達の決断を待つ、物憂げな姿に私は途方もない孤独を見た。

あなた、本当に酷い事を強いているのよ?

許されない事を、彼らに強いているのよ?

分かってる?

 

分かってないんだろうな。 馬鹿だから。

あの後訪れた時代の変わりを前にして、役者達に翻弄された時のように想像もしてなかった現実に立ち尽くすドランスキーの姿を思い浮かべてみる。

多分、また、生まれたての赤ちゃんのように惑い泣き喚くのだろう。

彼には裁きが下るべきだ。

そうでなければ、あんまりにも可哀想すぎる。

 

さて、見ないふりをしていたのだけど、今回の感想文も文字数が1万5千字をオーバーしてて、いよいよ自分が嫌いになりだしておる次第。

長いんだよな。

内容がないのにね!(書いてて自分で傷付いてる顔文字)

 

長く書いたけど、結局大地、本当に観劇してよかった。

友達と二人して顔色悪くしながら「今、これ上演する?!」と言い合い、桃のデザート食べながら「鬼畜の所業!」と唸りあったのもいい思い出になってる。

 

この演劇界にとって厳しい状況において、三谷さんはソーシャルディスタンスバージョンと銘打って、演劇に祝福あれ!というような作品ではなく、演劇の呪いと業を煮詰めたような演目を見せてくれた。

 

役者達は、芝居が出来なくなった。

国民的スターのブロツキーでさえ、理想のヒーローを演じられなくなった。

 

ミミンコだけが、もしかしたら有り得たかもしれない、彼らの素晴らしい一座のパレードを見ていた。

 

私は、「これは、死体蹴りというやつでは?」と慄きながら、ゴウゴウと泣いて、泣きながら、楽し気なパレードを見送って、私は…私は、続編のチャペックの逆襲を待つ事にしたのです。

パイを片手に原付に乗って現れるチャペックを待つ事にしたのです。

宣言通り、全員を殴ってあげる日を夢見る事にしたのです。

 

そして、ミミンコが見た幻が、いつか、本当になればいいなと願っているのです。

 

大地、素晴らしい舞台でした。

ここまで読んで下さってありがとうございました。