他人事倉庫

他人事の長文置き場です。

西荻窪 三ツ星洋酒堂 第四話 感想文

感想書くぞー!って思う気持ちと、小久保寿人さんという役者さんの感想を書きたい気持ちが殆ど=(イコール)で結ばれちゃう位に、あえての表現を使うと小久保さんの一人勝ち!みたいな、にしぼし第四話でした。

第三話は物語の素敵さと、近藤さんという人の巧さの性質が一緒に演じる人と高め合うような、懐の広い巧さの持ち主だったという事もあり、お町田さんとの台詞のやり取りがとても心地良く観られて「おかげで推しも素敵だった! ありがとう! 近藤さん!」みたいな気分に至れたのですが、小久保さんはもう、これぞ! これこそが! 俗にいう、アレですよ!

「喰われる」つうやつですよ!!!と、私は早々に白旗を振ってしまう程に、小久保さんの事だけが印象に残ってしまったのでした。

化け物だわ。

怪物だわ。

脚本自体30分の中で、原田はころころ心情も立場も佇まいも変化を促されてしまう、難易度が高すぎる役で、正直その難易度に応えられない事が当然というか、あの短い時間の中で感情のスイッチ点すらあやふやなお話において、芝居で自身の変化を表現する事なんて殆ど無理な役なのに、なんであんなに説得力のある。

視聴者が「ああ、洋酒堂でこの人は気持ちを浮上させられたのだ」なんて納得できるような芝居を、どうして?とか考えだすと、もう頭を掻きむしりたくなる位、私はもう、「演劇のお化け」をみたような心地に追いやられてしまうのです。

凄すぎた。

このドラマ私見ててよかった。

見てなかったら、あの芝居を知らないまま生きてかなきゃならなかった。

それって、どれ程の損失だろう?って考えるとゾッとしちゃう。

その位ハイレベルな、ちょっと私からすると奇跡みたいな芝居を見せられた気がします。

 

私が大好きな劇団の看板役者は、古田新太って男でして。

この人は大概怖い物知らずな役者なのですが、大好きな発言に「俺は、つまんねぇホンの芝居に出るのが愉しい」ってのがあるんですよ。

「俺は、つまんないホンの作品を俺の芝居で面白くするのが好きだ」って言っていて、私は「流石、言うねぇ」なんてニヤニヤしたもんですが、「こういう事か」って小久保さんの芝居を目の当たりにして思い知らされました。

名優は食堂のメニューを読み上げるだけで観客を泣かせるなんて逸話を持つように、巧い役者は凡庸な物語に途方もない吸引力を付加する。

ツイッターにも書いたのですが、第四話の内容自体は他愛もないものだと思ってるんです。

芸人さんが、解散した相方の出世にもやもやして、にしぼしで美味しい料理とお酒と店のスタッフの言葉に元気を出すってだけの起伏のない物語。

元・相方の飛躍と自身の停滞により途方もなく損なわれているであろう自尊心とか、見失ってしまった夢への情熱とか、二人で追いかけていた未来を一人で追いかけねばならなくなった孤独とか、その全てを洋酒堂でのほんの一時で癒せるものなのだろうか?って考えて見ると「無理だろう」って思うのに「無理じゃないよ」って小久保さんの芝居が言い聞かせてくる。

説得力しかないみたいな演じ方に私はホタテとマッシュルームの缶詰をつつく手も止まってしまって。

巧い役者の芝居がなだらかな物語に、見応えのある起伏を作る様に絶句しました。

物語に鮮やかな息を呑むような彩りを落とし、作品の質を向上させたのは間違いなく小久保さんのお芝居です。

小久保さんの一挙手一投足全部、あの世界を生きてるリアリティが滲んでいて、私はずっと目が離せなかった。

事程左様にさいたまネクストシアター一期生な刺客、巧過ぎて「なんで、私、この人知らんかったんやろ?」みたいな、自分を憎みすらしましたからね。

シェイクスピアを舞台で観る事にいい加減飽きてるからだよな~!!

いや、そんな本数観てる訳じゃないんだけど、でも色んなハムレットが『生きるべきか、死ぬべきか』言うの見過ぎて「好きにせぇ!」とかいっつも思っちゃうし、リア王も「なんで何度も、じいさんが娘に騙されるの観てイライラしなきゃならんのや!あんた、ラッセンの絵とか買わされちゃうタイプでしょ!」ってうんざりはしているのも本当の話で。

そんなうんざりしてる私は、推しが出演でもしなきゃ、わざわざシェイクスピア観に行かないもの!!

あーあー!小久保さんのオディプス王観たかったな~!とか、床をゴロゴロ転がって悔しがっているし、この先舞台に御出演になる際は是非、観劇したい!と、願うと共に、その為にも一刻も早いコロコロな禍の終息を願う気持ちを新たにさせて貰いました。

 

今回のもう一人のゲスト、相方役の梶さんという方の事は私は存じ上げないのですが、声のお仕事で有名な役者さんのようで、確かによく通る聞き取りやすい良いお声をしてらしたなぁと振り返りつつ、つぶ貝とビールではしゃぐ様子や漫才の練習してる姿を見るに、二人の漫才とかね! きっと面白くないんだろうなあ(辛辣)という気持ちにさせてくれるのもやけにリアルで、ちょっと打ちのめされました。

いかにも売れないコンビっぽさ。

でも、本人達は愉しいんだろうなって。

キラキラ眩しい位に光って見える人生の時期を青春と呼ぶのなら、二人で夢を追える時間が有限なのも仕方のない話で。

小林の言葉に反発して原田が吐き出す相方への気持は、彼と共に過ごした日々がモラトリアム期間であった事を自分自身に知らしめる色も帯びていて、だから雨宮が優しく告げた「好きだったんですね。 相方さんの事」という言葉はシンプルだけど、多分それ以上に原田の今とそして、相方と過ごした過去を言い表す言葉はないのだろうし、その瞬間小久保さんが目玉を彷徨わせ、ゆるゆると首を傾げて照れながら「本心から笑ってる」ようにしか見えない無垢な笑みを見せて「はい」と肯定する全てがね!

ああ、今、彼の青春が終った!!!って私は切なくなっちゃって。

私は小久保さんの芝居に、にしはら団の青春が息絶える瞬間を見てしまって、もう後は追い打ちのように小林が「だから売れねぇんだよ」とか死体蹴りしてくるでしょー???

こーばーやーしーー!! ほんと、そういうとこ!

本人が一番分かってる事を言っちゃうとこと、それを自分に向けても言っちゃってるとこが、ほんとにおーまーえー!!って感じするけど、書けなくて苦しんでる姿がスペシャルセクシーだったから、許してやるよ!(私の立場とは?)ってなっちゃって、つぶ貝の後に出て来た中内作のリゾットも本当に美味しそうだし、完全に小林と中内で飴と鞭コンビのコンビ芸成立しちゃってるし、何だかんだ見終わった時には「いいドラマ見たな」って気分にさせられていたので、総じてそこまで感情を持ってってくれた「小久保寿人さん、すげぇ」という結論に達してしまうのでした。

 

とまあ、先刻述べました通り、小久保さんの感想を述べるばかりの今回の記事なのですが、物語の終盤に小林と雨宮が二人で向かい合って中内の料理を口にしながら、彼らもまさにモラトリアム期間の真っただ中にある事を自覚するやりとりをしているシーンに妙に私はドキドキしてしまってもいまして。

閉店後の店内の薄暗闇の中で二人が言葉を交わす様子とか、オープンしてる間は雨宮が小林の棘のある言動を諌めてばかりなのに、一転閉店後は二人の立場がぐるりと入れ替わって、頑是ない様子を見せる雨宮を見透かし、諌め、宥める小林の振る舞いにも「ヒェッ」と心臓が縮みました。

これ、小林が雨宮相手の時しか見せない態度じゃないかしら?とか思っちゃったんです。

そして、雨宮が小林や中内が「次に行く」事を見据えている事に対し、まるで取り残される子供みたいに嘘をついて、取り繕おうとして取り繕えなくて、長い睫を何度も何度も上下させながらじっと小林を眺めている様も、きっと小林にしか見せない態度なのだろうなと思うと、もう心臓どころか寿命も縮む思いも致しまして。

この二人が如何にして、店を二人で切り盛りしていく決心をし、砂時計を引っくり返して光る砂粒が徐々に落ちていく様子を二人で眺めているような、そんな時間を過ごす事に決めたのか?

きっと最終回までには明らかになるかと思いますし、その時私の心臓はまた、ぎゅうぎゅうと絞られたり、寿命を縮められたりする予感が致しますので、何卒!

にしぼし三人組全員が幸福な道を歩めますように!

小林と雨宮が、お互いにかけがえのない存在であり続けられますように!と祈ってしまうのでした。