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西荻窪 三ツ星洋酒堂 最終話 感想文

世代じゃないので、中山美穂さんに対する思い入れとかがない私です。
なので、ゲスト加点はなくって、お話は原作ベースにしてゲストに合わせた脚色とにしぼし三人組の物語を兎に角まとめようとした結果「詰め込んでるなぁ」という印象を受けた最終話ではありました。
と、同時に「空虚だなぁ」と思う私もいて。
何しろ、山も谷もないお話なので(それはにしぼしドラマで見た殆どのお話に対して言えるのですが)わたがしみたいに、微かに甘くはあるけどふわふわと実体のないお話に一カ月半付き合い続けたなという、そんな感慨を得てしまっていたのでした。
でもね、よかったなぁって素直に思えたラストだったので、私としてはそれでいいかなって感じてて。

何しろ、たった六回。

1話30分。
その短すぎるお話の中において、たった一つだけ丁寧に雨宮が伝えてくれた事は、彼がお店を大好きだという事だけでした。
他は、もう何も分からんだのよ。
小林の葛藤の正体も、中内の味覚障害が治った理由も、彼が考えている自分の将来の姿も、雨宮という男は結局どういう素性の男だったのかさえ、全く分かりませんでした。
雨宮の兄との確執や、洋酒堂というお店が三人にどういう変化をもたらしたのかとか、多分ドラマのメインテーマになるべき柱も置き去りになっていて、カタルシスのない大団円において、それでも「雨宮の大事な場所は残される事になった」というただそれだけは間違っていないだろう私の認識を「まぁ、とりあえずは良かった」と私は思うしかないというのが、正しい現実なのかもしれません。
但し、にしぼし三人組のモラトリアム期間の続行という終わり方は、ハッピーエンドと位置づけるには適当ではないのかもしれないなって私は思ってるんです。
一番いいのは雨宮がやりたい事を見つける事なんだろうし、そのやりたい事が「お店を続ける事」ならば、その決意に相応しい言動と覚悟を示して然るべきだったと私は思う。
だから、ドラマ見てる時にここだぞ!って私は意気込んじゃってて。
缶詰をつつく手も、この時ばかりは止まっちゃってて。

いつも弱ってる客に対して「どこから目線?」な無神経な発言をキめてんだから、ここでこそ言ってやれ! 小林! 今回ばかりは何を言っても良い正当な権利があるぞ! 店続けたいって事は、期間限定だったこれまでと違って、これから相応の責任を負う覚悟があるんだろうな?って言ってやれ!とか思ってたのに、小林は雨宮に激甘だから~!
秒速で嬉しそうにOK出しちゃってさぁ~!
あんなに「いいか? 缶詰なくなったら店はおしまいだぞ!」ムーブ決めてた癖に、あれなんだったの?
雨宮に「やだやだ! お店一緒にやろ?」って言わせたいだけだったの?
何、それ羨ましい!(咄嗟の本音)どういう贅沢なプレイ?
一か月半、何見せられてたの?と、困惑を隠せない私に何の罪もないはず!


雨宮は終始ドラマと同じく空虚で、お店と小林と中内、そして日々訪れるゲストの面々に依存して生きてる実感を得ている人間で、その変化のない有様の善し悪しについてはもう深く考えないでおこうと思います。
私自身は、依存上等というか自立を尊ぶ気持ちがとても薄くて、本人の幸福こそを何よりも重んじるべきと考えてるものですから、これからも雨宮は他者に依存し続けます!と表明してるかのようなラストに対する釈然としない気持ちは薄いという事も深く考えないでいられる要素の一つなんだろうとは分かってます。
ただ、私のこうした「自立」に対する考えは多数派に属してない事も自覚していて、古いなと思えど然程突飛な倫理観を提示してはこなかったにしぼしドラマにおいては「主人公が自立しない(もしくは自立を延期する)」ラストって本当にハッピーエンド?ってやっぱり感じてしまう最終回だった事は否めないのです。
時間ないから取り敢えず風呂敷畳んで、続編の芽を摘まずに、三人の笑顔で終わらせればハッピーエンドでしょ!とか安易に考えた気がしてならんのよな。

何しろ雨宮という見るからに恵まれている人間が、ラストにナレーションにて述べる人間が生きてくだけで被る辛さなんてのは、如何にも実感がこもってなくて、そんな彼が「生きてく事の辛さ」の存在を認知する事が出来る場所っていうのが三ツ星洋酒堂だったのだとしたらと考えると、これは中々悪趣味だぞ?とも感じてしまうんですよね。
私の大好きな芸術家ソフィ カルが「限局性激痛」という作品にて、自身の失恋による傷心を他人の失恋エピソードを収集する事によって癒していく試みの過程を展示していて「なんて人間らしいグロテスクさなんだ!」と私は感銘を受けたのですが、多少雨宮も他人のエピソードを飲み食らって生きてる実感を得てる印象があるんですよね。

持ち前の美貌も手伝って、自身の生きる目的が見つからないから、人生の苦難に喘ぐ人々を眺め、宥め「人間とはかくある生き物なのか」と学んでいるかのような天上人感が否めないっていうの?
まぁ、更に厄介なのは私がそういう類の人間性は大好きです!っていう嗜癖持ちでもある事なんですけど!
ただ、雨宮は自身の店に対する執着の悪辣な側面に気付いてる様子もなく、疲れ果て、自身の前で己の境遇や、困難、思い出を語る人間に寄り添い、暖め、その心を軽くする事を身上としている優しい人間でもあり、そのキャラクター性が物語の主旋律となっていた訳で、今更なんですけど、そういう一見欠けたる所のない、立ち向かうべき壁がない人間が抱える内面の問題を解決しようとするには全六話じゃ足りないんだなって改めて述べるしかないなって思います。
ほんと今更だけど。
こうやって言語化していくと全6話を通じて雨宮のキャラクターに複雑な捻じれが生じている事が分かるんですけど、ラストにおいて、兎に角終わらせる為に三人の物語を極端に単純化させてしまった事により物語に矛盾が生じてしまっている事も同時に判明する訳で。
こうなってくると「この最終回って何某かの示唆が隠されてる訳でもなく、制作者側がちゃんと考えずにドラマを作ったら至った結果だろうなぁ」とか結論が出ちゃって、やっぱり私は「もう、深く考えないでいっか!」って両手を万歳してしまうのです。

浅野いにおが「ソラニン」で描いた「ゆるいしあわせが続く事の不穏にさよならと手を振る」勇気を主人公が持つ結末に至れなった、にしぼし最終回。
でも、色々書いてるくせに制作者側が意図してない感慨の得かたかもしれませんが、素直によかったと思う私の気持ちにも嘘はないんです。

 

本当ですよ?

この目を見て下さいよ!

 

私はきちんと「この店がなくなったら雨宮はどうしたらいいんだろう」という不安を抱けていましたし、どうか彼に居場所が見つかりますようにって祈る気持ちも得られていましたので、あの場所が彼に残された事、棚一杯の缶詰を幸福な風景として私が眺められた事はやっぱり良い事だよなって思ってます。


やりたい事はなくて。
欲望も持たなくて。
恵まれた境遇なので、必死になる事だってなかっただろう雨宮が三ツ星洋酒堂で初めて守りたいと思える場所を得る事が出来た。

 

美しい佇まいで、優雅な振る舞いを見せ続けた彼が必死になって縋った場所が三ツ星洋酒堂だった。
三人に関しては、謎がないから伏線もないし、確執もないから解決すべき問題も無くて、これまで雨宮の我が儘を全部聞いてきたのと同じく、「やりたいんだ! 三人で!」と雨宮が言えば「じゃあ、やろうか」って主体性なく彼の決断に付き合ってくれて、小林は兎も角中内は本当にそれでいいの?って百回位問い質したいんですけど、雨宮に肩を抱かれて笑ってる顔を見たら、「良かったんだね、これで」ってそういう事にしてあげたくもなったのでした。


にしぼしドラマは起伏のない筋書きが真っ白なキャンパスとなりゲストの実力を映す鏡になっていた事を私は結構面白がっていたですが、出演者側にしてみれば「腕が鳴る」と意気込めるのか、それとも「役者の実力を引き上げてくれるような面白い脚本くれよ」と憤るのか?

いずれにせよ、私はあんまりこういう類のドラマを見た事がなかったので一話からずっと「特異なドラマだな」って印象を抱いたまま、その気持ちが変わる事無く最終回を迎える事になりました。

にしぼし三人組のこれからを是非見てみたい、もっと彼らについて掘り下げて欲しいという気持ちは大いにあるので、続編があればいいのに!って心から祈っていますが、今度はもっと丁寧に、見てる人間の納得の得られるようなお話作りをして貰えたらなっていう気持ちも素直に表明しておこうと思います。

何にせよ、ずっと全話通じて推しのビジュアルが最高値を叩き出しており、こんなに綺麗な人が生きて、動いて、カクテルとか作ってて許されるわけ?とか訳の分からん混乱に毎回見舞われた事は確かなので、その点においては心から感謝の念を捧げさせて頂きたいなと思ってます。

 

それでは、結局最終回まで長々と感想ブログを書いてしまったのですが、ここまでお付き合い下さいました方々に深く御礼申し上げます。

他人事でした。