他人事倉庫

他人事の長文置き場です。

interview感想 全体編

「ゲボ出そう」というのが、率直なinterview開幕直後の評判を聞いた私の心境でした。
あとね「観劇中に臓物が口から全部出たとして、上演を止めずにやり過ごす方法ってあるのだろうか?」って本気で考えたりもした。
何しろ、前評判の時点で「致命傷」と称したくなる程におのちゃが好評なうえ、劇団内No.1「積んでる芝居用のエンジンが、一番馬力のある男」とおのちゃを目していた私にとって「どうも、全力でそのエンジンぶん回してるっぽい」事が伝わってくる現実に、私は日常生活に弊害が出る程に混乱を齎されていたのでした。

1回だけ。
千秋楽だけ観劇しよう。

日帰りで、観劇したら長居せずにすぐに品川から帰ろう。
それくらいなら、大丈夫。
私の大好きな原美術館はもうないし、私は劇場と駅を往復するだけで今回のお江戸行きを終えよう。
そう誓ってチケットを押さえた筈なのに、気付いたら私は前楽のチケットを手に入れてたし、宿も取ってたし、大阪に観に行くくせに、推し劇団の東京公演チケットまで手に入れていて、私は赤公演の当日券まで抽選権を握りしめて劇場に飛び込んでいた。

もうね、「怖い!」以外書けなくなるよね!

満喫してるんだもの! 知らんうちに、お江戸を!
いや、しっかりしろ! 知らんわけあるか! 手配したんは私やぞ?!(自分で自分を殴打)
それもこれも、全部おのちゃのせいだ!と理不尽を自覚せずに喚ける程度には、事前の評判に狂わされましたし、私に狂うような評判をお伝えし続けて下さったTL上の皆様には感謝の念しか抱けていませんし、私は品川クラブeXにまだ魂を置いていると断言だって出来ちゃいます。

劇団EXILEの沼に沈んだ時に、まさかそのお蔭でこんな「とんでなく素晴らしい芝居で、とんでもなく素晴らしい役者の、とんでもなく魂を振り絞った芝居を観て、心をズタズタにされる」幸福が待ち受けてるなんて、想像すらしていなかった。
世界が狭い私は、私の世界が最高だと思っていて、その世界の外にも最高があるって言う事を分かってはいるけど、理解ってはいない。
おのちゃは、今回「どうだ。 最高だろ?」って私の目の前に掛かっていた幕を開けてくれた。
目が潰れそうな位に強烈なものを私にくれた。

interviewの感想を書きます。
今回は、赤・青公演全体の比較感想文になります。
長くなり過ぎちゃったから、各役者の感想は明日更新予定。
あらすじは省きます。 解釈はないです。 解説も出来ないです。 私、ミュージカルはそんなに沢山観た事なくて、私のツイッターや、ブログを御存じの方なら頷いてくれるだろうけど、ほんとに頭が悪いから。
だから、ここから先は感想だけです。
どうぞよろしくお願いします。

私は、あくまで私個人としては赤の方がグロテスクで幼児虐待のおぞましさという社会的に取り組むべき問題への怒りが際立って感じられたし、青の方がキャラクター個人の痛みと悲劇性に瞠目させられました。
ミュージカル初挑戦はLDH勢が三名。
その内訳は、赤のユジン・キム役にマツさん。
青のマット役におのちゃと、ジョアン役にののりきちゃん。
この内訳こそが、前述の私が抱いた印象の正体ではないだろうか?と私は考えていて、つまり「ミュージカル慣れ」してない三人の在り方、歌い方が、赤・青各色のinterviewの印象を決定づけたような気がしてならないのです。
赤は、始終ユジン・キム先生がマット・シニアの中の複数の人間達に振り回される印象が強く残っています。
それは、マツさんが歌唱に割くリソースの割合が多く、必死に絞り出すように歌い上げる姿が「マット・シニア」という怪物を前にして届かぬ手を伸ばし、彼に潜む複数の人格と対決し、何とか彼を救おうと足掻く姿に重なって此岸の存在であるユジン・キムVSマットの中に住む彼岸の住人達の印象が強まったからかもしれません。
つまり我々が心寄り沿わせる対象が(共感ではないと思う。 私が共感という言葉に眉唾という印象を抱いてるせいかもしれないけど)ユジン・キム先生側に立ち易い状況になった事で、マット・シニアの底知れなさ、怪物性はより高まったように思えてならないのです。
加えて、2.5次元系の舞台等でミュージカル経験豊富な糸川さんが高い歌唱力で、余裕を感じさせながら軽やかに歌い上げ、マツさんの歌声を捕まえ、引っ張り上げるようにデュエットする舞台上での姿を見るにつけ、自身の常識や倫理から大いに逸脱した恐ろしい真実を内包しているマットの存在感は自身の肉体以上に膨れ上がって見えました。
精神のみならず肉体的にも彼岸にいるジョアンについても言うに及ばず。
歌を歌うという事を、まるで呼吸をするの同然かの如く高らかに、劇場中に波及させるように歌い、歌と芝居を混然一体化させていた伊波ジョアン。
赤は、マットとジョアンの盤石の歌声が思う存分に、キム・ユジン先生を惑わせ、煽り、追いつめ、醜悪な真実を眼前に呈して見せた。
だから、赤の印象はグロテスク。
怪物にならざるを得なかった子供の姿を通して世界の醜さを目の当たりにさせられた。
そのグロテスクな世界を作り上げたのは、マットやジョアンのような子供達を助けられなかった社会であり、その社会を構成する社会的存在。
つまり大人である我々なのだと強く自覚を促されるようなそんな心地がしたのです。
青では泣きじゃくった私は赤では、一粒も涙を零さなかった。
これは決して赤にエモーショナルな感情を覚えなかったからという訳ではなくて、泣く立場にないと思わされた事が大きいです。
マット・シニアが生まれた世界に、ユジン・キムが覚えたであろう怒りと自責の念に似た物を私が抱き、この世に生み出してはならないというメッセージ性に打ちのめされたからなのです。

逆に、青においてはミュージカルの場数を多数踏んできてるのはユジン・キム役の丘山さんで、初挑戦はおのちゃとののりきちゃん。
ユジン・キム先生の歌声には危なげの欠片もなく、歌う事と並行して様々な段取りを行う姿も堂に入ったもので、その振る舞いの余裕綽々といった品の良さや、如何にもインテリ然とした佇まいを維持したまま、マットを追求してく姿は安心感を覚えずにはいられませんでした。
ただ、同時にその歌う事への余裕が丘山さんの解釈を存分に発揮させる事が出来たのか、彼をマットに対し『研究対象』としての興味を抱いているかのような怜悧さも感じさせ、それが後半になるにつれてマットの必死の狂気に取り込まれていくような姿に、佇まいの繊細さもあってか『境界線に立つ人』の印象もあって、青の悲劇的な印象をより強めてくれました。
あとさ、ののりきちゃんのジョアンも、歌う事自体に気持ちを割く割合が多かったように見えたのですが、その余裕のなさが「鳥籠の中」にいる閉塞感をとてもこちらに伝えてくれて、小さなおうちから何処にも行けない少女という印象をとても強く抱けたんだよな。
細く、時々途切れそうになる、自信のなさげな歌声。
鈴の音のような、綺麗な綺麗な歌声は広い世界に響き渡るような力強さは一つもなくて。
こんな子が、例え男を乗り物にしようとも、外の世界で生きてける筈ないなんて思わせるほどに無力な少女感があった。
つまり、赤と青では追い詰められる側が違って見えたのです。
そして、この組み合わせにおいて、白眉と言うか、推し贔屓とか言わせねぇぞ?という強い決意を込めて、私の中で「これ、どういう事?!」ってなったのは当然おのちゃで、つまりミュージカル慣れは勿論してる訳ないんですけど(初挑戦だしね!)、歌の安定感が凄すぎて歌詞の聞き取り易さ含めて異常だし、でも本人が全力で演じないと演じこなせない難役だけあって余裕ぶっこいて芝居してますって訳じゃないのに、生来の芝居勘の良さと技術の高さが作用して、『観客の感心と感動のどちらをも掻き立てる』芝居を見せられてしまったという事を私は有識者の皆さんに強く訴えたいのですよ!!!!(クソデカ声)
演目と、ミュージカル初挑戦と言う状況と、おのちゃという役者の能力の高さ。
そんな複数の条件が重なっての秋真さん曰くの「ベストアクト」になっていたかと思うと、私は生で見られた事を演劇の神様に感謝してしまうのですが、そんなおのちゃが、2.5次元系で鳴らしてきた(私は、2.5次元系舞台を拝見した事がないのですが、兎に角段取りが多くて、求められる能力が高いであろう事は、予想がついております)丘山さんとの掛け合いを経て魂を振り絞り、お互いの能力を出し切りあった結果、青における姉弟の悲劇性、マット・シニアもしくは彼の身体に住む複数の人間達が「生まれてしまった事」への絶望感をひしひしと感じられて、赤を観劇時に感じたマット・シニアへの感情とは全く別種の、胸を衝くような憐憫と愛おしさを覚えてしまったのです。
以上を踏まえた上で、結局私が述べたい事っていうのはinterviewにおける出演役者の余裕度合が及ぼす、芝居への影響についてだったりします。
今回の演目が芝居ではなくミュージカルであるという事。
歌うという行為を役者の演技に噛ませる事で、露わになる経験の差。
すなわち、余裕度の差。
私が今回一番興味を抱いたのはミュージカルの場数を踏んで来た役者と、初めてミュージカルに挑戦する役者との間に明確にある余裕度の違いでした。
その余裕度の違いが、彼らのキャラクター性に大いに影響を及ぼしている事は間違いがなくて、『役作り』という言葉に代表される役者主導の恣意的なキャラクター解釈以上に『歌う』からこそ『そう在らざるを得なかった』という「役者本人の経験上、思い通りに演じる事が及ばぬ領域」を観る事が出来た。
経験不足だからこその『こう在らねばならなくなった』キャラクター感というのが浮かび上がって見えた事が、私は興味深く思えて仕方がなかったのです。
声域の広さ、声量、台詞を歌に乗せる際の聞き取り易さ。
歌うという事に集中せねば歌いこなせない役者と、歌以外の部分に気を回せる役者。

これ、良し悪しじゃなくて。
あの、良し悪しと感じてた観客を否定するつもりは毛頭ないのですが、interviewにおいては私にとっては良し悪しでは全くなくて、多分その「余裕のなさ」こそが、この舞台の肝なんだろうなって思ってるって話なんです。
私、平田オリザ氏のワークショップを受けた事がありまして。
そのワークショップで、参加者同士でキャッチボールをしながら台詞を言うというレクリエーションがあったのです。
平田氏曰く「別のところに神経使ってる方が、芝居がよくなる」という事らしく、青年団においては「恣意的でない芝居」を目指してるからこそのレクリエーションのような印象を受けたのですが、「歌う事に神経を使う役者達」の自身ですら思いも寄らない揺れ方をする芝居を「歌いながら芝居をする事に慣れた役者達」が上手に導き、お互いに高め合う過程を経ている芝居が見せる到達点の素晴らしさと『初挑戦』だからこそ観られる儚さに私は「何事もバランスである」という実感と共に「この時、この場所にしかない芝居」と確信出来る舞台を観られた僥倖を噛みしめたのでした。
三人しか出演者のいない、彼らの歌とやりとりが全ての舞台においては「出演者の印象」と「舞台の印象」が≒で結ばれます。
演出の差、照明の色の差、小道具の差等、赤・青に付与された違いは役者の芝居を補強する為の物であり、あくまでそれぞれの役者に依存した道具立てに過ぎない。

「役者が違うと別物になる」という事の凄み。
役者に全てを委ねた舞台を観るという事の贅沢。
そして、その舞台に箱で押してる劇団所属の役者が出演している事と、私が今まで触れてこなかったジャンルの役者様方の実力を思い知らされた事、加えて推しの芝居が天才の境地にあった事。

その全てを踏まえて最高ですとしか言いようがないですし、赤・青どちらも観られてよかったって心から思ってます。
まぁ、役者の芝居を補強するにすぎないと述べた口で申し上げると疑いの目を向けられそうなのですが、脚本の素晴らしさは元より、演出が鬼のように凄かったぞ!っていうのは、やっぱり言い添えておきたいですよね。
田尾下さんが「それぞれのバージョンがどういう特色になるかは役者に全てを委ねる」レベルにまで持っていく手腕の持ち主だからこそ成立してる訳ですし、少ない人数なのに一切の停滞がなく激流のようなスピードで密度の濃い芝居の連続を見るに「これ、相当体力のある演出家じゃないと無理なやつー!」と心の中で悲鳴をあげました。
セットの配置や見せ方も囲み舞台ならではの目配せが効いていて、どの位置から観ても楽しく、また見る場所によってがらりと印象が変わる様に作り上げられていて唸りましたし、照明の美しさ…とくに点在する光を夜景に見立るところや、色合いを変えていく事で情景を表現する巧みさも素敵だった。
何より、楽曲が全部素晴らしくて、もう帰りの新幹線に揺られながら「音源…せめて音源を売ってくれ…」と呻き続ける妖怪・音源売ってくれババアになってしまった事は一生忘れないと思いますって言うか、今でも妖怪音源売ってくれババアのまんまだからな?!
青柳さんの若者のすべてと同じく、ずっと「売ってくれ」って言い続けてやるからな?!

青に感動し、赤は別物であるという前評判を確認する為に両方を観た。
そんな事が出来る舞台に触れられた。
interviewに感じている私の最高の正体は極めて単純です。
最高のミュージカルを観られた。
感染病が蔓延する時代において、私の最高はもしかしたら非難されるべき最高なのかもしれない。
それでも観劇を趣味としている人間として、劇場で得難い経験をさせて貰えた事を何もかも忘れて寿ぎたいのです。

ということで、まだまだ色々書きたいのだけど、これ前哨戦だぞ?という程に次回更新の役者の感想の文字数が地獄なので、全体への感想はこの辺で勘弁しといてやります(えっへん)
今回の感想文でうんざりしていなければ、次もお付き合い頂けますと大変嬉しく思います。