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推しの結婚

注:推しの結婚にまつわるブログですので、相当に遠慮のない表現を駆使しております。
町田啓太の結婚についてセンシティブな感情を抱いてる方にはお勧め出来ない内容である事を御承知おき下さい。


推しが結婚した。
私は正気を失い損ねた。



あけましておめでとうございます!とか、今現在忸怩たる気持ちで新年のご挨拶をさせて貰っているわけである。
タイトルから察せられる通り、めでてぇんだけどオタクが書くからにはめでてぇ気持ちを綴るつもりはないんだろうなぁと察せられるブログを令和4年に書き上げ損ねた女が、旧年中に吐き出し損ねたお気持ちをまさかの年明け初日に披露する事になるなんて2022年の私のなんと筆の遅い事よ!と他人を眺める眼差しを送ってもいるのである。

まぁ、事の次第としては令和4年のクリスマスに「いつも応援してくださる皆様へ」といった穏やかでないタイトルのブログで自身の入籍を知らせてくれたのは皆さま御存じ町田啓太だったというわけで。
以前からオタクを徐々に、しかし確実に仕留める!の決意があったのかなかったのかは知らないが、入籍に向けて次々と繰り出される「匂わせ」などと騒がれた数々のはしゃいでる写真や、事務所公認なんだろうなと分かるセブンの面白画像満載(ぶっちぎりで面白かったのは推しの服装と、劇団最年少ちゃんの隠し撮りの体を為さなくする堂々たる写されっぷり)の記事やらで覚悟完了を決めさせても貰っており、私個人としてはさていざ結婚報告をされた時に、どうやって正気を失ってやろうかしら?と楽しみに(?)備えていたところもあった。

何しろ、発狂とポエムはオタクの花。
※諸説あります。

推しの結婚などというオタク三大正気を失いチャンスを前にして、ツイッター在住オタクに散見される自分自身エンタメコンテンツ化欲望を抱えて生きる私としては「逃すまい! このビッグウェーブ」とすら意気込んでいたのである。
あと三大チャンスとか書いてるけど、他の二つについては全く思いついてもいないのである。

これまで数多くの名作が生まれた「推しが結婚した」オタク達の長文ブログに倣い「もし私が過去に戻れたなら、ITTOKANを抱え松明を掲げながら二人の出会いの切っ掛けとされている短編映画の撮影現場に乗り込み『ここでお前達が始まる前に私が全部終わらせる!!! つまりここが二人の関係の【終着の場所】ってことよ!!!』と大暴れしてやるんだから!」という決意をクソデカ誇張表現満載でブログに書き散かしてやろうか。

それとも人より猿の数が多い田舎が隣接する地方都市住まいの地の利を生かし、故あって夏に沢山人から貰う事になったけど一緒に遊んでくれる人がいないので倉庫に眠ったままになってる「徳用花火セット」の中でも特に派手なヤツらを厳選して、母方実家近くにある荒れ地になってる元・畑で「これがぁ! 結婚爆破ぁ! セレモニーじゃあああ!!」と点火しまくった挙句最後は自分自身が火達磨になりかけるオチまでついた動画を撮ってツイッターに流そうか。

いや、いっそ「推しの結婚なんて、勿論スペシャルハッピー過ぎますし! 推しの幸せ=あーしの幸せですしおすし!」なテンション側に自分の感情を振り切らせて都内を「啓太♡結婚おめでと♡お幸せに♡」とデカデカと描かれたラッピングカーを走らせる計画でも立案するのもありなのか?

とりとめもなく考えて、考えて、年の瀬も押し迫った25日にいよいよそのお報せを受けた瞬間私が放った渾身のお気持ちツイートは以下の通りとなったのであった。

 

御覧の通り当たりもしなけりゃ、障りもしねぇ!!
つまんねぇの見本みてぇな事を、つまんねぇの呼吸で飄々とツイートして私は吐き出しきれなかった靄のような物を身の内に抱えてしまったものだから、何とか足掻くようにしたり顔で呟いた。

 


うるせぇ! 傷付いてる人に寄り添おうとすんな! 推しの結婚で息してない人間に届く言葉なんかこの世にあるか!

激怒である。
思い返しても、つまらん自分への怒りが抑えきれなくなる。

結局のところ上記ツイートの通り、備えに備えた結果いざその時を迎えた私に去来した感情と言えばもう純粋なまでの「虚無」でしかなかったという事だ。
なんもねぇの。
なんも感じねぇの。

他の人はどうかは知らないが、私は文章を書くという事については勿論素人なので心が動かないと狂ったリリックを刻む事なんか出来ん訳で。
狂えない以上、私に出来る事は何もない。
推しは着々と準備をし、情報を出し、心構えを否応なくファンに強いて正気を失いたかった私の息の根を完璧に止めたのだと白旗を振るしかなかったのだった。

あーあー、狂いたかったなぁ!
呪詛をまき散らす事になるのか、自宅に勝手に近所のケーキ屋に発注掛けたウェディングケーキを自宅に搬入させて一人で踊り食いをするハッピーウェディングフェスティバルを開催する事になるのか分からなかったけど、私はちゃんと狂いたかった。
狂って、奇態な振る舞いをツイッターに記録して、そんなに町田啓太を推してる人間がいたのかと爪痕を残して、推しが結婚した現実を受け止めたかった。

ごめんね、推し。 狂えなくて。

たかだか付き合ってる事を隠すつもりのない沢山の写真と、結婚間近である事を表明する為の週刊誌とウィンウィン協定を結んで世に出した自分が主演の現場の打ち上げに彼女参加させてる熱愛写真と、クリスマスというタイミングで結婚報告を行う浮かれ方を目の前にして、いよいよ虚無しか得られない心境まで追いやられた根性なしでごめんね。

うん、まぁ、いやむしろ改めて羅列すっとオタク相当な仕打ちを受けているというか虚無になるのもやむなしでは?と自分自身の感情に納得を覚えそうにもなるのだが、推しの幸せを前にして「狂いたい」だの「正気を失いたい」だと推しの人生を何だと思ってんだ!というのも、もっともな話で。
そもそも、リアコ勢ではない私が推しの結婚に対して「おめでとう」以外の言葉を述べるのも不誠実な話ではあるのだ。
彼の人生にとって重要な決断に対し、承服しかねる感情を述べる立場にあるのは推しに失恋をした人間だけだろうし、推しと結婚したいと本気で思ってる人間以外は推しが結婚する事に対して寂しさを覚える事はあっても「結婚してくれるな」とは述べる立場にないのだと思う。

だから、私は報告を受けた瞬間の虚無感を決して悪しき感情ではないのだと納得をして、それからの日々を過ごす事にした。
何しろ、年の瀬ですし?
仕事は「多忙」の一言に尽きていて、私は何とか仕事納めが出来るよう奔走する事で推しの結婚について考える事を意識的にやめていた。
やめていた筈だった。

年内最終出勤日の前日、私は仕事をいつ切り上げて帰るか残業中に思案していて。
ひと段落したところで、もう少し粘るか? それとも、ここでよしとするか迷いながらふと思ったのだ。

「もうちょっと、残ろうか。 帰っても楽しいことがあるわけでなし」


それは心からの気持だった。
素直に湧き上がった偽らざる気持ちだった。
私はこんなに仕事で忙しい最中に、推しの結婚によって自分の日常が少し退屈になったのだと知った。

推しが結婚した時に推してる側が得る感情なんか人それぞれだろうから、共感を得たいとかではなく私事として書き残したいだけなんだが、私は今回初めて全力で推してる最中に推しに結婚をされたオタクで、これまで推してきた推しの中にも当然結婚されてる人はいらっしゃるが、気持ちがゆるやかに落ち着いてる時期に結婚されたりしていたので私は私がどうなるか一切判断がついていなかった。
そして、いざ報告を受けた際には「虚無」しか得られずなんてつまらんオタクだと自分で自分にがっかりした。
だが、その虚無は一時的な感情に終わらなかった。
激情を伴う事もなく、厭世に苛まれる事もなく、ただ曖昧模糊とした退屈を抱える事になった私が私は不思議でしょうがない。
5年も同棲をしてきた相手である以上、推しは何も変わらないのだ。

既婚者になったという以外は目に見える範囲では何も。

では、この虚無感の正体は何だ?
少し考えて、この「虚無感」が生まれた理由は町田啓太という人の「余白」を私は随分と狭められてしまった事に起因するのだと気付いた。
「余白」は言い換えると「想像の余地」としてもいい。
町田啓太のオタクの棲み分けを私は、己の観測範囲においてざっくりと「町田啓太個人推し」「劇団箱推し、町田啓太最推し」「出演作品由来の町田啓太推し」と分類しており、劇団推し・個人推しと出演作由来の推しは兼任の人もよくお見かけするといった印象を抱いていた。
私もハイローのノボルで入水した劇団推しの人間だ。
ツイッターで「町田 結婚」等と検索すると「町田くんは〇〇と結婚するんじゃなかったの? ぴえん」みたいな、私にとってクソ虫唾の走る失礼ツイートを見る事になるので大変精神衛生に悪いのだが、結局のところ彼らが嘆いているのも私が虚無を抱える事になったのと同じ理由なのだろう。
結婚によって自身が推しに夢を見ていたかった余白は失われてしまったのだ。

私が失った余白は劇団推し故の他愛もない、そうだったらいいのになっていう夢だ。
町田啓太にとって劇団EXILEこそがホームであって欲しいという可哀想な思い込みだ。
他の場所では優等生極まりない振る舞いと言動が板についている推しが劇団といる時は相当弛んだり、子供っぽくなったり、適当な扱いを受けて嬉し気であったりする様を特別視し、彼にとって最も寛げる場所は劇団なのだと思い込んでいたかった。
勿論、地元の人間関係なり御実家なりが推しにとって安らげる場所であろう事は分かっていたが、地元を離れた場所で気負わず飾らない自分でいられる場として劇団EXILEが在る事を夢見ている事が私の町田啓太を推すモチベーションに繋がっていた。

勿論、正気の私は「そんな事はないだろうな」って理解ってもいた。
所詮ファンでしかない私が知ってる事はごくわずかだ。
私の知らない大事な人間関係を当然推しは構築しているのだろう。
ほっとする場所は仕事と無関係な場所に持っているのかも知れない。
それは当たり前の話だ。
だけど知らないでいれば、それは「ある」のか「ない」のか可能性でしか語れない話になる。
可能性があるうちは、自由に夢をみていられた。

結婚するという事は、最愛の相手を持つという事だ。
一番大事な人がいるという事だ。
私が推している私の好きな町田啓太像は家族を何より大事にし、自身の伴侶と支え合い心から想い合える、そういう誠実な男性でこの私の中の町田啓太像は「夢を見ている」というよりは「信じている」というより強い感情から形成されている。
だから私は私によって自分勝手な夢を完全に諦めるしかなくなった。
町田啓太にとって一番は劇団EXILEじゃないという現実を受け止める他なかった。

私の虚無の理由はお相手が誰であろうが関係ないし、報告のタイミングも、報告に至る過程も無関係だ。
私は劇団EXILEの町田啓太が本当に好きで、とにかく大好きで、宝物みたいに好きだった。
彼の帰る場所は劇団EXILEなんだと夢を見られてる間の幸福感と高揚感が彼を推す理由の相当な割合を占めていた。
別に彼は退団した訳でなし、これから先も劇団EXILEなわけだし、私の目に見える彼に変化はないのだろう。
それでも、彼の立場は変わってしまった。
彼の帰る場所は彼女なのだと推しは私にきちんと教えてくれた。
結果、私はぽっかりと虚無の穴を抱えてしまって、今その真っ暗闇を結構持て余している。
この虚無の原因は私にしかなくて、だから当然だけど推しも推しのお相手に対しても悪心の一つとて抱きはしていない。
虚無を何とか埋めるべく両腕を回しても指先が触れ合えない位の大きさの虚無をぎゅうぎゅうに抱えながら、ふと思い至るのは「お町田さん、それだけ相手の事が好きなんだな」って事だったりして。
人気は高まり続けていて、今が大事な時期なのは間違いなくて、沢山の女性ファンに支えられている事は自覚しているだろう彼が、それでも結婚したい気持ちを抑えられない程に好きな相手に出会えたのならそれはとても素敵な事で。
推しにとってこれ以上ない幸せな事で。

だったら、もう仕方ないね…とかはまぁ、全然思わんのやけど。

いやいやいやいや、思わんよ。
知らんよ。
ていうか、そんだけ惚れた相手だから結婚しましたっていうんじゃなきゃ、こっちも納得できないよってだけの話で。
幸せでええですなぁ!じゃあ今度はファンである私達の事を幸せにしてくれや、いい仕事をしてな!とか、鬼の現場監督みたいな顔で言うし。
推しの幸せと私の幸せが一致する訳ないじゃんとか全然真顔で述べる人間性の持ち主なので、役者仕事で私の虚無を埋めてくれよって我が儘も述べるし。
これから先、町田啓太という人間に対して見ていた夢の大事な部分を結婚によってぽっかりと失った分だけ、町田啓太と言う役者が芝居で埋めてくれるのを期待だってしてるし。

だから私はこれからも見てるから、応援もするから、そして私の中に今だってしっかりと居座ってる虚無を自分で何とか始末するつもりでいるから、推しもどうか良い芝居で、私の好きなあなたにしか出来ないお芝居で、私の虚無を埋めてくれという祈りを今日地元の神社で初詣がてら捧げてくるつもりの、そういう決意表明のブログでした。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。